副業を軽く見ている人がハマりかねない罠

 

「みなさんも副業をやりたければやってもいい」

 今年の年頭あいさつで副業について社員に向かって宣言したのは、とある印刷会社のN社長です。政府が進める働き方改革の柱の1つになっている正社員の副業や兼業容認の動き。N社長はそれに触発されたようです。

■副業始めました

 そんな社長の宣言を受けて、入社間もない事務職のT君(仮名)は副業を決意しました。社長も朝礼で宣言した手前「おう、一番槍だな」と嬉しそうに返したことから、T君の副業探しが始まったのでした。

 「バイトでお小遣いを増やそう」

 T君は、もともと毎晩帰宅後にランニングをするのが日課でした。「どうせならおカネももらえるしバイトで汗を流そう」と始めたのがビル清掃のアルバイトです。時給は1200円で毎日20時~22時までの2時間。印刷会社の勤務時間は9時~17時なので、仕事が終わってからバイトに向かっても十分間に合います。1日2時間で週5日勤務としたので、T君は1カ月約5万円の副収入を得ることとなったのでした。

 

 

最初のうちはよかったが……

 最初のうちは「気分転換にもなって楽しい」「本業にもいい影響がある」と張り切っていたT君ですが、2カ月も経つころから「バイトが始まるギリギリまで残業した日の翌日はきついです」と社長に漏らすようになりました。社長としては「わが社の副業第1号が早々にリタイアしたのではカッコ悪い」と考えたようで、残業を18時までの1時間のみとし、T君に副業を続行させることにしたのでした。

 残業を少なくしてもらったものの、T君は心にモヤモヤしたものを抱えていました。

 「残業したほうが生活は楽だ」

 T君の月額給与は25万円。これを時間単価にすると1507円(25万円÷166時間)で、25%増しの残業代なら1884円(1507円×1.25)になります。つまり、無理して副業をするよりは他の社員のように残業したほうが給与としては断然多くもらえます。

 そんなT君にさらなる試練が訪れます。

■休業補償がたったの3000円

 T君はビル清掃の最中に階段から足を踏み外し、右足を骨折してしまい、バイトも会社も約1カ月間は休まなければならなくなってしまいました。そこで、T君はN社長にその旨を報告し「治療費と欠勤中の生活費」について相談をしました。すると社長からこんな言葉が。

 「骨折はバイト中の事故だからバイト先に相談しなさい」

 また、欠勤中の生活費についても、

 「入社間もないから年次有給休暇はないよ」

 と言われてしまい途方に暮れていました。そこで、T君を見かねた人事担当者が声を掛けました。

 「労災から休業補償給付が出るはずだ」

 「助かった」。これを聞いたT君はさっそくバイト先に連絡をし、労災の手続きを進めることとなったのでした。

 治療費は労災で全額負担されることを知り一安心していたT君ですが、休業中の補償額を聞かされ、再び途方に暮れることとなりました。休業補償は1日につき、たったの約3100円しか支給されないというのです。

 

 

休業補償給付でいくらもらえる?

 休業補償給付とは、労働者が業務上の傷病により休業せざるをえなくなった場合に支給される生活保障です。その額は、休業前3カ月間の1日分の給与平均額を算出し(給付基礎日額という)、その額の60%を支給するものです。また、これとは別に休業特別支給金として20%が支給され、1日につき、合わせて80%が支給されます。

 「80%なら8000円になるはずでは!?」

 T君は、印刷会社の給料とビル清掃のバイトで月に30万円ほどの収入を得ていました。したがって、休業補償給付は1万円の80%である8000円はあるものだと思っていました。ところが、ケガはビルの清掃中に発生したものですので、その使用者責任はバイト先であるビル清掃会社にあります。

 逆に言うと、印刷会社には使用者責任はいっさいないということになります。つまり、労災保険上もビル清掃会社の保険が適用されますので、平均賃金の算出もビル清掃会社から支払われた時給1200円がベースとなり計算されたというわけです。

 ※給付基礎日額の最低保障額は3910円(平成28年8月1日から平成29年7月31日までの間)なので、T君の休業補償額は3910円×80%=3128円となります。

 もし、T君が印刷会社でケガをしていたのであれば、休業補償給付の額は約6600円と倍以上になっていたでしょう。もし、T君がこの仕組みを知っていたら副業にビル清掃を選択していたでしょうか?  今となっては悔やんでも悔やみきれない出来事でした。

■「割増分も払ってください」

 T君から言われてN社長は仰天しました。なぜなら、T君の残業は1時間だけだし、その1時間については8時間以内なので25%の割増はつけないまでも通常の賃金は支払っていたからです。

 「君は1時間しか残業していないだろ」

 こう切り返した社長にT君は続けてこう言いました。

 「アルバイトする日は8時間以上働くことは承知していたはずです。だから1時間分は25%増しじゃなければダメだと聞きました」

 

 

割増賃金の支払いはどうなる?

 労働基準法では、週40時間、1日8時間を超えて労働をさせた場合には25%以上の割増賃金を支払わなければなりません。したがって、T君の労働時間は印刷会社では始業時刻の9時から終業時刻の17時までの7時間ですので、(休憩は正午から13時までの1時間)8時間を超える21時から22時の間はバイト先が割増賃金を支払わなければなりません。でも、それはあくまでもバイト先の話であって、印刷会社には関係のない話だと社長は考えていたのです。

 「うちでは1時間しか残業していないのだから8時間は超えていないだろ」

■割増賃金の支払い義務はどちらの会社に? 

 2つ以上の事業場に勤務した場合の労働時間は通算されますが、このケースで8時間オーバーした時間に対する割増賃金の支払い義務はどちらの会社にあるのか?  原則としては、後に契約を締結した会社が支払う義務を負います。それは、「他社で勤務していることを承知で採用した」ことが前提だからです。

 したがって、T君のケースでは後からT君と契約を締結したのはアルバイト先が割増賃金を支払うのが原則となるわけです。一方、印刷会社のN社長はT君が退社後には2時間のアルバイトをすることを承知していました。つまり、印刷会社で17時から18時までの1時間を残業させた場合、T君の労働時間が通算で9時間から10時間になることをわかっていながら残業の指示をしていたといえるのです。

 こうしてT君は、印刷会社とバイト先に対し、それぞれ割増賃金(25%)の差額を請求することになったのですが、両方の会社にとってもT君にとっても望ましい事態とはいえません。

 T君の話はフィクションでレアケースかもしれませんが、これに近いことはこれから日本のどこかで実際に起こりうる話。副業を軽く考えていると思わぬアクシデントやトラブルに巻きこまれないことは、想定しておいても損はありません。

 

 

東洋経済オンライン 3/25(土)