独立失敗は地獄をみる。40歳以上は会社にしがみつけ!

 

■自称「弱小零細企業のドラッカー」

「二流や三流の会社員は、あのランキングを見て、自分を慰めているのかもしれないですね。“俺は○○大卒で、4位じゃないか。まだ、イケるよ”と……。実は、出世競争で負けつつあるのに。

あの企画は、学歴は立派だけど、出世コースから外れた人たちがメインターゲットなのかな。そんな人たちが喜びそうな企画じゃない? あんなものを読んで満足している限り、一流になるのは難しいと思う。ましてや、独立はもっと難しいよ」

零細企業コンサルタントの栢野克己(かやの・かつみ)氏(56)が、ビジネス雑誌などの企画「大学別社長・役員ランキング」への思いを語る。仕事柄、経済・経営関連のメディアには目をよく通すようだ。

自称「弱小零細企業のドラッカー」として九州・福岡を拠点に、主に個人事業主や中小・零細企業の経営者を対象にした講演を全国各地で続ける。「どんな田舎でも行きます!」を信条とし、地方の隅々の町にも行く。東南アジアにまで足を運ぶこともある。インド、タイ、ベトナム、香港、上海などでも講演をしてきた。

講演はこの10年で毎年、平均100回前後。1回につき、講演料は10万円弱。そのほかに、本の印税や、主催する講演会での模様を収録したDVD・ビデオなどの販売収入を含めると、多い年には売り上げ2000万円前後になるという。

全国各地から講演の依頼が次々と続く理由の1つが、豊富な成功事例だ。20数年の間に中小零細企業の経営者や会社員、自営業者などを取材したり、相談を受けたりすることで見聞きした成功事例や、その基本原則を情熱的に伝えていく。ときには、趣味である少林寺拳法のポーズをみせて、笑いをとる。

「私もいくつもの会社を転々としたり、いざ独立したものの、一時は上手くいかなかったりと波乱万丈だった。振り返ると、好き勝手なことをしてきたからね(苦笑)。個人経営や弱小零細企業の皆さんには、参考になる話はさせていただけると思います」

1982年に立命館大学経営学部を卒業した。就職活動のときは、ある程度の自信を持っていたという。

「立命館は、同志社よりは難易度が低かった。今よりも、双方の差は大きかった。それでも、有名大学のギリギリのところだから、なんとかなると思っていた」

 

 

■高学歴の人は独立・開業は難しい

就職活動は順調に進み、ヤマハ発動機に入社。しかし、仕事ができないことで悩むようになり、ノイローゼとなり、退職。わずか、9カ月の在籍だった。

その後は、リクルートでアルバイトをする。「仕事のおもしろさをはじめて味わった」が、正社員への転用試験で不合格となり、失意の退職。大阪にある、日本IBMの子会社に就職した。ここでも仕事が上手くいかない。うつとなり、自殺未遂をする。そして、退職。

「この頃になると、バレルね。もはや、立命館大卒なんて通用しない。中途採用試験で内定を得ることがなかなかできない。29歳で、4社目を受けようとしているわけだから。しかも、3社ともいずれも3年間も在籍していない。“こいつは使えない。問題がある”と見られるんだよね。30歳前で3~4社変わると、どこの大学を卒業していようとも、内定を得るのは苦労すると思います」

失業生活の後、東京へ。チラシを宅配する中小企業に入る。しかし、周囲をみると、大卒の社員は少ない。

「悲哀を感じたね。俺もこういう連中と同じなんだな、と……」

ここも、早々と退職。

30代になると、交流会やセミナーに盛んに参加するようになる。名刺を交換すると、「代表取締役」の人たちが意外と多い。しかも、聞いたこともない会社だった。

「こんな人たちでも、社長が務まるんだな、と思いました。社長といえば、大企業をイメージしていたから。零細企業に興味を持ち始めた頃だった。私の調査によると、中小零細企業の社長(創業者)を学歴別でいえば、1位が高卒、2位がバカ大学、3位が高専や専門学校、4位に有名大学。高学歴な人は、独立・開業することは難しいかもしれないね。プライドがあると、新規開拓で大きな結果を出すのはできないんじゃないかな。会社員が想像する以上に、厳しい世界だからね」

 

 

■実家が連帯保証人で1億円の借金

自らも、転職経験などをもとに「無料職業相談業」で起業しようとした。だが、半年で破たんした。出版社でテープ起こしの仕事を請け負いつつ、次の人生を探った。

この出版社の倉庫で手にしたのが、中小企業コンサルタントの竹田陽一氏の本だった。ランチェスターの経営戦略を中小企業向けに解説することで知られていた。

バブル経済が崩壊したこの頃、1992年、さらなる人生の転機を迎える。福岡の実家が、他人の連帯保証をかぶり、1億円の借金をしていた。「当初は、息子である俺には関係ないと思っていたけど、そんな甘くはないんだね」。福岡に戻り、小さな広告代理店に転職。すでに、7社目の会社だった。

「実家を売却するなどしたけど、まだ、5000万円ぐらい残っていた。会社員では、返せない。どうすることもできない。悶々とした日々だったね」

友人に誘われ、セミナーに行くと、そこに講師として現れたのが、竹田陽一氏だった。中小零細企業の生き残りなどの話に感銘を受ける。竹田氏監修のビデオなどを購入し、独立に向けて、本格的な勉強をする。

その後、1995年に広告代理店を退職し、2度目の独立を試みる。竹田氏の教えを受け、ランチェスターの経営戦略を独自にアレンジした戦略が功を奏する。2年目には、この時点での借金1500万を完済する。だが、母親は自殺。

「独立は、学歴がない人やそれまでの会社員経験で上手くいかない人が逆転をするための1つの手段ではあると思います。だけど、何も知らない会社員が独立することは避けたほうがいいですね。コンサルやFCの会社など、カモる人はたくさんいるよ(苦笑)。独立して、人生破たんした人を数えきれないほどに見てきた。積極的には勧められないよ。最近は、リストラで辞めて、独立をせざるを得ない人が増えているけどね」

 

 

■師匠との共著で、人生の転機を

2002年、大きな転機を迎える。竹田氏が著者として書き始めた本に、「共著」という形で加わる。初の著書である。これが『小さな会社☆儲けのルール』(フォレスト出版)で、ベストセラーとなる。13年後の現在も増刷が続く。その後も、本を書き続けるようになる。印税収入は、この10数年で1年間の平均が100万円前後となるようだ。

「師匠との共著の『小さな会社☆儲けのルール』が、プチ成功となった。全国から講演依頼が来る。ハイテンションになったね。妻はそんな私の姿を見て、あきれているようだった。この10数年は、ずっと夢を見ているような気分だった。それまでの人生から大きく変わったから」

2006年から07年にかけては、仕事を休み、妻と小学生の子ども2人を連れて、世界一周をした。独立後の生活を満喫しているようだが、会社員にはやはり、積極的には勧めていないという。

「リスクが大きいからね。特に40歳以上の場合は、会社にしがみついたほうがいいですよ。リストラを受けようと、隔離された部屋に送り込まれようとも……。それも悲惨な人生かもしれないけど、独立後、失敗すると、もっと悲惨な人生が待ち構えているよ。

本当に真剣に独立を考える人はその年齢になる前にもう、何度も試みているから。40代以降になって、あえてするべきことではない、と思う。『大学別社長・役員ランキング』を眺めては、俺はまだ、イケるよと思いをめぐらすのも、いいんじゃない?」

 

 

プレジデントオンライン  2015.4.8